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ホーム2022年6月REVIEWCD ウチナー・ジャズ・オール・スターズ UCHINA JAZZ ALL STARS / ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン UCHINA JAZZ GOES ON
商品詳細
★沖縄復帰50周年にこの1枚!沖縄ジャズ界のスターが一同に会し、熱きビートを伝えます。
これぞウチナー(沖縄)ジャズの心意気!慰霊の日に歌われる名曲「月桃」も収録!ウチナーのソウル溢れるジャズ、ここにあり!ウチナー・ジャズ・オール・スターズ「ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン」

★前作「ウチナーJAZZ!」から14年、待望の新作がリリース!
2008年リリースのアルバム「ウチナーJAZZ!」は、ベテランミュージシャンを主役に、若手と中堅を交えて制作されたアルバムでした。
そして今作は、真栄里英樹を中心にした中堅が主役を担うアルバムとなりました。
ウチナージャズの原点である、ビッグバンドスタイルは変わることは無く継承され、そこに今年(2022年)92歳となるアラン・カヒーぺ参加のカルテットや、ドラマーの上原昌栄(86歳)、長きに渡りウチナージャズを牽引してきたテリー重田(81歳)、そして故屋良文雄氏の息子の屋良朝秋のカルテット、さらに情感溢れる歌声が素晴らしい安富祖貴子が参加しています。収録曲はオリジナルから、沖縄民謡、1969年4月NHK「みんなのうた」で放送され話題となった「えんどうの花」、慰霊の日には欠かせない名曲「月桃」、そしてジャズのスタンダードまで、ウチナージャズならではのオリジナルティー溢れる選曲です。ジャズのジャズたるスピリットが今も息づく、ウチナージャズの魅力溢れる1枚です。(メーカーインフォ)

■収録曲に関して
(1)ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン(オープニング・ヴァージョン/オリジナル曲) 作曲:真栄里英樹
今作の為の書き下ろしです。復帰50年、激動の時代を乗り越えて来た沖縄。明るく陽気なメロディーは、なんくるないさー(なんとかなるさ)と歌っているようにも聞こえます。
(2)ヒヤミカチ節(沖縄民謡) 作曲:山内盛彬編曲:仲本政國
「ウチナーンチュよ、起きて、奮い立て!」と歌い込まれた、沖縄民謡のスタンダード曲です。
(3)月桃(ボーカル:安富祖貴子) 作詞・作曲:海勢頭豊編曲:真栄里英樹
沖縄を代表するシンガーの一人、安富祖貴子が歌う、平和への祈りを込めた沖縄発の名曲です。映画「GAMA 月桃の花」主題歌です。
(4)かりゆし(ロング・ヴァージョン/オリジナル曲)作曲:村田陽一
今作の為の書き下ろしです。曲タイトルの「かりゆし」(めでたい、縁起が良い。乾杯の時は、かりー!と言います。)には、今を喜び、未来にさらなる希望と夢を繋ぐ思いが込められています。
(5)ウチナー、ワンダフル・トゥナイト(オリジナル曲)作曲:津嘉山正明
今作の為の書き下ろしです。ロマンチックな曲調が印象に残るナンバーです。素敵な沖縄の夜を。
(6)マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ(スタンダード曲) 作曲:Guy Wood
ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマンのアルバム収録曲としても知られる名曲です。
(7)えんどうの花(ボーカル:安富祖貴子/沖縄歌謡) 作詞:金城栄治作曲:宮良長包編曲:安富祖貴子
ビッグ・バンドから、ピアノ、ギター、ベース、ドラムのカルテットによる演奏です。沖縄で愛唱されている名曲です。
(8)でんさ節(沖縄民謡) 編曲:玉栄政昭、テリー重田
八重山民謡のスタンダード曲です。教訓歌として知られています。「デンサ」とは「ごもっとも」という意味です。
(9)童神〜天の子守唄〜(沖縄音楽) 作曲:佐原一哉編曲:Bun岩崎
古謝美佐子の作詞、歌唱で広まり、NHKTVの連続ドラマ「ちゅらさん」の挿入歌として使われました。
(10)ミッドナイト・イン・コザ(オリジナル曲)作曲:テリー重田
名ピアニスト玉栄政昭(ネーネーズが歌唱した名曲「イカウー」の作者)、ベテラン金城吉雄、西川勲の演奏が光る1曲です。
(11)レキオス・ブルース(オリジナル曲)作曲:西川勲
レキオスとは、ポルトガル語で琉球の人々を意味します。
(12)シング・シング・シング(スタンダード曲) 作曲:Louis Prima編曲:真栄里英樹
ウチナージャズのレジェンド、上原昌栄のドラミングが聴きどころのスウィングジャズの代表曲です。
(13)かりゆし(ショート・ヴァージョン) 作曲:村田陽一
2曲目のショート・ヴァージョンです。
(14)ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン(エンディング・ヴァージョン) 作曲:真栄里英樹
1曲目のロング・ヴァージョンです
ボーナストラック
(15)酒とバラの日々(スタンダード曲) 作曲:Henry Mancini Nicola, John Mercer
ラストを飾るボーナストラックは、アラン・カヒーぺと、ウチナー・ジャズのレジェンド宮里政雄(75歳)のデュオです。

■演奏
真栄里英樹BIG BANDBIG BAND((1717名編成:名編成:5sax5sax、、4tb4tb、、4tp4tp、、pfpf、、gtgt、、bassbass、、drdr)(1)(2)(3)(4)(5)(12)(13)(14))(1)(2)(3)(4)(5)(12)(13)(14)
屋良朝秋、寓話カルテット(pfpf:屋良朝秋、:屋良朝秋、a.saxa.sax::BunBun岩崎、岩崎、bassbass:比嘉辰雄、:比嘉辰雄、drdr:津嘉山善栄)(9):津嘉山善栄)(9)

テリー重田カルテット(t.saxt.sax:テリー重田、:テリー重田、pfpf:玉栄政昭、:玉栄政昭、bassbass::..川勲、川勲、drdr:津嘉山善栄)(8)(10):津嘉山善栄)(8)(10)

JIJI324((t.saxt.sax:アラン・カヒーぺ、:アラン・カヒーぺ、pfpf:宮里政雄、:宮里政雄、bassbass::..川勲、川勲、drdr:金城吉雄:金城吉雄) ) (6)(11)(6)(11)※324※324とは4人の年齢の合計とは4人の年齢の合計
アラン・カヒーぺ&宮里政雄(15)(15)

■スタッフクレジット録音:伊豫部富治ミックスダウン&マスタリング:飯塚晃弘、田中三一

こちらで試聴できます。

在庫切れ
可能な限りお取り寄せいたします
CD



CD ウチナー・ジャズ・オール・スターズ UCHINA JAZZ ALL STARS / ウチナー・ジャズ・ゴーズ・オン UCHINA JAZZ GOES ON[RES 339]

販売価格: 3,150円(税込)
数量:
商品情報
RESPECT RECORDS

■ウチナー・ジャズについて
第二次世界大戦後、沖縄を統治下に収めたアメリカは、基地内外でさまざまな娯楽行事を実施しました。その一つがジャズコンサートであり、カウント・ベーシー、ルイ・アームストロング、ライオネル・ハンプトンなど大物ミュージシャンが沖縄に来ました。また、フィリピンからも多数のジャズ・ミュージシャンを呼び、コンサートを行いました。本作のレコーディングでテナー・サックスを演奏しているアラン・カヒーぺも、フィリピンから1951年に沖縄を訪れ、以降も帰国することなく、現在に至ります。

沖縄ジャズの歴史は、終戦の年(1945年)、アメリカ軍が地元の芸能人を集め、琉球芸能連盟を結成させたことから始まります。1947年12月には、正式にプロのバンドとして「南の星バンド」が登録され、嘉手納のグリフィン劇場(野外)のステージを踏んでいます。(当時の出演料は、ラッキー・ストライク2ケース)その後、1950年代に入るとジャズは隆盛を極め、基地内のクラブは増え続け(最盛期で36ヶ所)、さらに多くのジャズミュージシャンが必要とされました。そこでアメリカ軍と時の政府は、地元でのジャズミュージシャンの育成に乗り出し、中学、高校で吹奏楽部に所属していた者たちがその要望に応えました。最初はジャズ独特のグルーブやノリが解らなかった為、カカシ(楽器を演奏している振りをして立っているだけ)としてステージに立ちました。そんなジャズビギナーも、基地で手に入れたレコードや、アメリカ、フィリピン、そして東京から来るミュージシャンの演奏に接するにつれ、徐々に実力を付けて行きました。

当時、ジャズミュージシャンは花形でした。給料が公務員の2〜3倍あったからです。1950年代から(特に1952年から1955年に掛けてミュージシャンの数は増えて行き、1958〜59年には15のビッグ・バンドがありました。)60年代は沖縄中でジャズが聞かれ、ミュージシャンは夜10時頃に基地内での演奏が終わると、今度は基地の外のキャバレーで演奏を続けました。まさに沖縄ジャズの黄金時代であり、アメリカ人のみならず沖縄の人々にとっても、ジャズは特別な音楽ではなく、大変身近なものとして広く愛されていました。

1972年の日本復帰以降は、予算の削減から基地内のグラブ景気は衰退の一途をたどり、ミュージシャンの解雇も相次ぎました。
その後、ホテルのラウンジなど民間の施設に演奏の場は移り、1980年以降は、ピアニストの屋良文雄の活躍もあり、ジャズイベントが定期的に行われ、またジャズを中心に演奏するライブハウス(「寓話」「インタリュード」など)も活況を呈する様になりました。

現在、ベテランから若手ジャズミュージシャンの活躍もあり、ウチナージャズの火は消える事なく、熱く燃えています。

■アルバムプロデューサー、真栄里英樹プロフィール
沖縄県那覇市首里出身。
東京コンセルヴァトアール尚美卒業。東京でのフリーランス活動後、帰沖。現在はトロンボーン奏者として「ディアマンテス」「津嘉山正明& スパイス」などのバンドに在籍。また沖縄県内外のアーティストのサポートやレコーディングに多数参加している。

近年では作編曲へも力を入れ2008年CD「ウチナーJAZZ!」へアレンジを提供。2011年には作曲家、普久原恒勇氏の「作曲活動50周年コンサート」にて全編オーケストラの編曲と指揮を担当する。2017年琉球新報のコラム「落ち穂」へ半年間寄稿するなど活動は多岐に渡る。

2012年沖縄ジャズ協会副理事長、2016年同協会事務局長。ジュニアジャズオーケストラおきなわ那覇ウェスト講師。
2016年「真栄里英樹BIG BAND」を立ち上げ、イベントやライブにて好評を博している。

■真栄里英樹、ウチナージャズへの思い。
僕が音楽に後ろ向きだった時、一緒に演奏していた先輩ミュージシャンから「なとーんどー(できているよ)」という島言葉(沖縄語)で救われました。決して良い演奏ではなかったのに、先輩はそう言いました。沖縄のジャズメンはとてもおおらかです。表向きは怖くてもそれは家族のように思っているから。愛があります。これは沖縄という島が19世紀まで琉球王国という国家で、その後の大戦、そしてアメリカ統治と激動の道を歩んだことで育まれた郷土愛や、一族に対する連帯意識からなるものでしょう。

音楽はその土地土地の文化を大きく反映します。
僕が帰郷して出会った沖縄のジャズは庶民からも愛され、カチャーシーと混ざってジャズが演奏されていました。
ジャズはアメリカで生まれた音楽ですが、地元に根付いたジャズは沖縄に溶け込んでいて、すでにウチナージャズでした。

これは出来上がった一つの音楽文化です。このスピリットはずっと大切にしてゆきたいです。